スポーツの楽しさとルール – 規則と楽しさの関係

皆さんはスポーツが好きですか。私はテニスをやっています。相手がレシーブできないようなサーブが打てたり、スマッシュで点が入ったときには、テニスが非常に楽しいと感じます。

また、テニスをするだけではなく、テニスを観戦するのも好きです。ウィンブルドンや全仏オープンで、トップ選手のプレーを見ていると、自分が試合をしているようにドキドキし、好きな選手が素晴らしいパフォーマンスで点を取ると、自分のことのように嬉しいです。

最近、テニスをした帰りに、ふと、なぜテニスが楽しいのだろう、と思いました。そして、その理由を上手く説明できないことに気づきました。

テニスには少々細かいルールがありますが、大まかには「ラケットを持って、ネット越しにボールを打ち合い、打ったボールがネットにかかるか、枠線の外側に出ててしまったら、相手に点数が入る」というシンプルなものです。

テニスを一度もプレーしたことがない人がこのルールを聞いても「つまらなそう」と思うのではないでしょうか。

テニスだけに限りません。他のスポーツも、「ボールを蹴って、ゴールに入れる」「速く走って、最初にゴールにたどり着いた人が勝ち」などと、そのルールだけを聞くと全く面白そうではありません。

私は野球をしたことがないのですが、野球のルールを聞いても全く楽しそうだとは思いません。むしろ、野球をやっている友達にルールを聞かされたときは、むしろ、楽しくなさそうだなと思いました。しかし、おそらくプレーしてみると、楽しめるのかもしれません。

すべての「スポーツ」に共通するのは、「ルールがある」ということだと思います。

「ルール」や「規則」という言葉は、私はあまり好きではありません。自由を束縛する、制限される、というネガティブなイメージを持っています。

しかし、人間が他の人と関わるときには、そこには必ず「ルール」が存在します。日本で生きていく限りは、「法律」というルールに従わないといけませんし、学校には「校則」があります。

また、文章になってはいなくても、家族の中でも「ご飯を食べる時間」「他の人の部屋に入るときにノックをする」「家事の分担」などとルールがあります。

ルールがなかったらどうなるでしょうか。赤信号でも車が発進して交通事故がたくさん起こったり、万引きがたくさん起こったりするでしょう。また、悪いことをした人が罰金を支払ったり刑務所に入ることもないため、恐ろしい世の中になるのではないでしょうか。

つまり、「ルール」は、人間が他の人と関わって生きていくために、なくてはならないものであるのです。

では、スポーツにおける「ルール」はどうでしょうか。

もし、テニスが「ラケットを持って打ち合うだけ」というルールであったら、そもそも勝ち負けがなくなってしまうので、試合はできません。ネットやコートの枠線がなかったら、自分が打ったボールが「良いボール」なのか「悪いボール」なのかという概念もなくなってしまいます。

実際、テニスコートではなく、近所の公園でテニスをしても、それほど楽しめません。やはり、遊びであってもネットと枠線があるテニスコートでテニスをするのが一番楽しめます。

つまり、スポーツでは、ルールによって行動が制限されていることが楽しさに繋がっているのです。決められたルールの中で、最大限の力を出し切って勝つことがスポーツの醍醐味だと思います。

私は、校則をはじめとして、「規則」や「ルール」といったものがなければよいのに、と思っていました。しかし、規則やルールがあることで、人が協力し合って社会が機能し、そこに喜びや楽しさが生まれるのです。

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