AIが発達した21世紀に英語を勉強すべき理由

私たちは仕事や勉強などが終わったら「お疲れさま」と言います。最近、英語を話す機会があったとき、外国人の知人に「お疲れさまでした」と言いたかったのですが、言葉が口から出てきませんでした。

家に帰ってから、この「お疲れさま」は英語で何て言うか調べてみました。そして、「Good job.」や「You must be tired.」という和訳を見つけました。しかし、これらの英語は、日本語の「お疲れさま」と同様には使ってはいけないように感じました。

「Good job.」は仕事や勉強が良い結果である場合に使います。しかし、日本語の「お疲れさま」は、よい結果でないときにも使いますし、失敗した人にも使います。また、「You must be tired.」は直訳すると「あなたは疲れているに違いないでしょう」という意味ですが、日本語の「お疲れさま」は相手が疲れていないときでも、丁寧な挨拶の言葉として使われますし、相手をねぎらう意味もあります。そのため、Good job.もYou must be tired.も「お疲れ様」の英訳としては不十分なように感じました。

それから「おはようございます」や「ありがとうございます」という、私たちがすぐに英訳を思いつく日本語についても考えてみました。そして、これらの言葉の英訳にも「お疲れさま」と同じような不十分さを感じました。

私は、最初に英語を習い始めたときに、英語の先生に「『おはようございます』はGood morning.です」と教わりました。しかし、本当にそうでしょうか。

「おはようございます」は朝の挨拶ですが、本来の意味は、文字通り「早いですね」という意味です。朝早くから働いている人をねぎらって「お早いですね」と言っていたのが、朝の挨拶として定着したようです。そのため、今でも伝統芸能の歌舞伎の世界などでは、夜であっても、自分より早く来ている人に「おはようございます」と言うそうです。

一方で、英語のGood morningは、文字通り「良い朝ですね」という意味です。英語は世界中で使用されていますが、元々はイギリスの言葉で、イギリスは雨が多いことでも有名です。イギリスでは、天気の良い朝はめずらしく貴重なものなので、Good morningという言葉が朝の挨拶に定着したのではないかと思います。

このように、日本人は、早く起き出して仕事する行いを価値あるものとしてたたえ、挨拶として採用してきた一方、イギリス人は数少ない晴天の朝を価値あるものとして挨拶にしました。どちらも朝の挨拶ですが、ふたつの国のそれぞれの価値観や、挨拶そのものの背景を考えると、どうしても単純に「おはよう = Good morning」という式が成立するとは思えません。

日本人が「おはよう」や「お疲れさま」という言うときのニュアンスは、英語の「Good morning」や「Good job」では表すことのできないものです。そして同様に、イギリス人が「Good morning」と言うときのニュアンスは、梅雨以外の季節は晴れの日が続くことを期待できる日本人には通じない、イギリス人の思いや価値観があるのではないでしょうか。

インターネットの環境や人工知能、つまりAIが発達してきて、英語を学ばなくても生きていけるのではないかと論じられることも増えてきました。たしかに、インターネットの翻訳機能はかなり正確になってきて、私も英語の勉強のためによく活用します。

しかし、ある英文が和訳されたとき、それは本当に元の英文の意味のニュアンスを全く損なわずに翻訳できるものでしょうか。

最近、美味しいケーキを食べました。その味を友達に説明したいと思ったのですが、上手く言葉で表すことができませんでした。「甘い」だけではおいしさは伝わらないし、「ほんわり口の中が幸せになる感じ」という抽象的な表現でも通じません。元のケーキを食べてもらわないと、あのおいしさは伝わらないと感じました。

このケーキの味の例が、英語にも当てはまるのではないでしょうか。英語を機械的に翻訳したところで、元の英文にあった「味」が日本語になることで失われてしまうと思われます。本当にしっかりと理解したかったら、元の「味」を味わってみるしかありません。そして、元の「味」を味わえるのは、英語を勉強して話せるようになった人だけなのです。

機械ではなく人間の通訳や翻訳者が間に入ったとしても同じです。Thank you.は「ありがとう」とも訳せますし、「ありがとうございます」とも訳せますし、「感謝します」とも訳せます。「ありがとう」と「感謝します」では、それなりに言葉の語感が変わってきます。通訳や翻訳者がどちらの言葉を選ぶかは個人の好みで、主観によって選ばれます。

また、基本的に敬語がない英語をする場合、です・ます調で訳すか、で・ある調で訳すか、また尊敬語や謙譲語を交えた敬語として訳すかで、言葉の雰囲気がまったく変わります。通訳によって日本語訳された英文は、元の英文のニュアンスが伝わりにくくなるだけではなく、通訳者という別の人間の意見が入ってしまいます。そのため、AIが機械的に訳すよりも、さらに大幅な変化が起きているかもしれません。

言語には、その言語でしか表せられない語感やニュアンスや「味」があると思いました。試しに、好きなアニメを英語吹き替えで見てみました。すると、まったく異なる作品のように思いました。声優が異なるため、声の雰囲気が違うこと以上に、話す言語が英語になったことで、主人公がまったく違う人間になったように感じました。ドラえもんの声優が変わって、ドラえもんの雰囲気が変わったこととは比べものにならない「変化」が感じられました。

世界的にも人気のある日本の漫画やアニメを、原語のまま理解できるのは日本語が理解できる特権だと思います。そのため、日本語が話せない外国人は、日本人の漫画家やアニメーターが作った「ありのままの作品」を味わうことは絶対に不可能です。

同様に、英語の文章を英語のまま「味わえる」のは、努力して英語を勉強した者だけに与えられる特権です。ハリウッド映画やブロードウェイ・ミュージカル、アメリカのジャズやポップミュージックの素晴らしさを、まだ英語が流暢に話すこととのできない私は理解できていないかもしれません。

また、理解できていると思っていることが真の理解ではない可能性もあります。「Good morning = おはよう」であると理解しているだけでは、Good morningの奥に秘められた英語の「良い朝」へのニュアンスは理解できていません。このように、理解していると思っていても、英語が流暢になればなるほど、理解していないと気づかなかった奥深い世界も理解できるようになると思います。

日本人にしか理解できない日本語の世界があるように、英語が流暢に話せる人だけが見える英語の世界があると思います。その世界を見る特権を手に入れることができるのは、日々努力して英語が話せるようになった人だけなのです。

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