日本全国に生えるソメイヨシノはすべて同一のゲノムをもっています。つまり、ソメイヨシノはすべてクローンで、一本の桜の木を源流としています。
ソメイヨシノは美しい花を咲かせますが、この美しさは人間によってつくられた美であり、美しいソメイヨシノが日本中で咲いているのは、人間が美しいソメイヨシノを選んでクローンを増やしたからです。このように、ソメイヨシノは人為的につくられたサクラであり、そのため、ソメイヨシノは様々な問題をかかえてもいるのです。
ソメイヨシノの名前の由来は「染井村」の「吉野桜」
ソメイヨシノは漢字表記しようとするならば「染井吉野」と書けます。染井とは江戸時代に植木職人が集まっていた江戸の「染井村」のことで、吉野は奈良県南部の桜の名所「吉野」のことだと考えられています。
染井村は現在の東京都豊島区の駒込のあたりです。今も駒込には六義園という庭園に「染井門」と呼ばれる入り口があるなどの名残があります。江戸時代、ここにはたくさんの植木職人が住んでいて、桜を交配していました。
そして、染井村の植木職人は、たくさん花を咲かせ、しかも花が満開になって散ってから葉が出るというサクラをつくり出すことができました。ソメイヨシノを誕生です。普通、サクラは花が咲いているときにも葉が出てきますし、どれくらいの数の花が咲くかも種によってまちまちです。
一方、吉野も地名で、吉野は歴史的に桜の名所でした。吉野の桜について詠まれた和歌もたくさんあります。吉野は山々が連なっている場所で、そこで咲いている桜は野生種のヤマザクラです。
なので、ソメイヨシノは「染井村の植木職人が交配した吉野桜」という意味で命名されたはずなのですが、実際にソメイヨシノのゲノムを分析してみると、吉野桜(ヤマザクラ)は全く関係ないということがわかりました。
ソメイヨシノは吉野桜ではない
ソメイヨシノは「吉野」の名前を称していますが、そのゲノムを辿ってみると、吉野の桜とは全く違っています。
最新の研究からソメイヨシノは「エドヒガン」という名前の桜と「オオシマザクラ」という桜の雑種を交配して生まれたとわかりました。どちらも吉野に生えているヤマザクラではありません。
ソメイヨシノを交配した植木職人は、自分で交配したのですからソメイヨシノが吉野桜とは全く異なる種であると知っていたでしょう。しかし、桜の名所・吉野にあやかって新種の桜のブランドを高めるためだったのか、植木職人たちはソメイヨシノを「吉野桜」と名付けて売り出しました。
吉野桜が「ソメイヨシノ」と呼ばれるようになったのは明治時代のことです。
現在、東京の上野公園は関東では有名な桜の名所です。また、上野公園は博物館がたくさんある場所としても有名です。その博物館のひとつ東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の職員であった藤野寄命という博物学者が、上野公園の桜を観察して、吉野地方の山桜とはまったく別物であると突き止めました。藤野寄命はその桜を「ソメイヨシノ」と改名しました。
こうして現在まで「ソメイヨシノ」という名前が使われているのです。
ソメイヨシノは受粉しても種を作らない
ソメイヨシノの花粉をソメイヨシノに受粉しようとしても種はできません。実や種ができているソメイヨシノを見たことはないですよね。これは、ソメイヨシノがクローンであるからです。
植物には自家不和合性という性質をもつ植物が多くあります。自家不和合性とは、一本がおしべもめしべももつような植物が、自分の花粉で自分の雌しべを受精させようとしても、それができない性質のことです。
近親交配が行われると病気が多くなってしまいます。純血のイヌなどが病気になりやすいのはことためです。これを防ぐために、おしべもめしべももつ植物は、はじめから同じDNAをもつ花粉で雌しべが受粉しても種ができないような仕組みをもっています。
ソメイヨシノはクローンなので、ソメイヨシノの花粉でソメイヨシノのめしべを受粉させようとしても、受精することができず、実もつくらず、種もできないのです。
では、種を作らないソメイヨシノをどうやって増やしているかというと、接ぎ木を行って増やします。
接ぎ木は受精が行われない無性生殖なので、接ぎ木で増えた木はもとの木と同じゲノムもちます。つまり、遺伝的に全く同じ個体、クローンであるということです。
ソメイヨシノは自家不和合性であるので、ソメイヨシノ同士は種を作ることはできませんが、野生の他のサクラとは種をつくることができます。しかし、そうしてできたサクラはもはやソメイヨシノではありません。
ソメイヨシノは花が散ってから葉が出るという特徴を持っています。しかし、ほかのサクラはそうではありません。なので、ソメイヨシノと他のサクラによってできた種は、ソメイヨシノがひときわ美しいとされる特徴をもつことはありません。なので、ソメイヨシノの特徴を持つサクラを増やしたかったらクローンをつくるしかないのです。
ソメイヨシノが抱える様々な闇
美しいソメイヨシノは人為的に作られたサクラであり、そのため「不自然」なサクラです。そのため、ソメイヨシノは様々な問題を抱えています。
病気に弱い
クローンであるために、病気に弱いのがソメイヨシノです。自家不和合性の植物がおしべもめしべもつくれても、自家受精しようとしないように進化したのは、他の個体と遺伝子をミックスすることで、より多様性のある子供を生み出すことができ、その中のよりよく環境に適応できる子孫をのこすことができるからです。
しかし、ソメイヨシノはクローンしかつくれず、すべてが同じ遺伝子をもつので多様性がなく、ちょっとした変化に耐えられないのです。なので、ソメイヨシノが弱い病気が発生したら、それが近くに植えられているソメイヨシノに蔓延してしまいます。
すでにソメイヨシノの間では「てんぐ巣病」という病気が発生しています。この病気は幹を腐らして枯らせてしまいます。この病気を防ぐ方法はなく、この病気にソメイヨシノがかかってしまったら、感染した部位を切り落とすしかありません。
人間がクローンをつくらなくなったらソメイヨシノは絶滅する
ソメイヨシノはヒトによって交配され、つくられた種です。なので、ヒトが接ぎ木をしてクローンをつくらなくなり、今植わっているソメイヨシノがすべて枯れてしまったら、ソメイヨシノは絶滅してしまいます。
ソメイヨシノが美しいのは、人間が好んでソメイヨシノのクローンを増やしてきたからです。なので、さらに深刻な病気が生まれたり、人間が「ソメイヨシノに飽きた」なんてことがあったならば、ソメイヨシノは存在できなくなってしまうのです。
そういう意味で、ソメイヨシノは人間に依存した存在であり、人間によって生かされていると言っても過言ではありません。
ソメイヨシノは他のサクラを絶滅させる
日本にはヤマザクラやエドヒガンなどといった10種の野生種のサクラがあります。
それに対して、ソメイヨシノは人為的に交配された雑種です。本来、違う種同士は交雑しにくいものです。同じサルでも、チンパンジーとニホンザルは異なる種なので、交配させることはできません。植物は接ぎ木で増やせたり、受粉の仕組みが動物とは異なったりするので、動物よりは雑種をつくりやすいものではありますが、それでも同じサクラであっても異なる種であれば、交雑は起こりにくいものです。
しかし、ソメイヨシノは雑種です。人間によって異なる種を混ぜ合わせて作られた種であるので、他の種のサクラと交雑することもあります。そして、日本全国に植えられているソメイヨシノが野生の他の種のサクラと交雑したら、その種子から生まれてくるサクラはもはやどちらの親のサクラとも異なった雑種になってしまっています。このようにソメイヨシノは他の種のサクラの遺伝子を撹乱させてしまう脅威なのです。
前の項で人間がクローンを作らなくなったらソメイヨシノは絶滅してしまうと書きました。しかし、ソメイヨシノは絶滅しても、ソメイヨシノがほかの種のサクラと種をつくることで、ソメイヨシノの子孫は存在します。しかし、その子孫はソメイヨシノの子孫であっても、ソメイヨシノではないのです。
ソメイヨシノは自然の野生種を撹乱させる問題児なのですが、悪いのはソメイヨシノでしょうか。これほどソメイヨシノだけを好き好んで、次々に接ぎ木で増やしたのは人間です。ソメイヨシノが他の種と交雑して、野生種の遺伝子がかき乱されているとしても、それを起こしているもとを辿れば、それは人間です。
きれいなソメイヨシノを見たときに、その美しさの背後に隠された人為的な影に思いを巡らせると、ソメイヨシノの見え方が変わってくるのではないでしょうか。