麦を食べると身体が黒ずむ… ヨーロッパを恐怖に陥れた病・麦角

麦角ばっかくとは子嚢菌という微生物が作った菌糸が集まって生じた黒色の硬い塊(菌核)のことです。菌糸とは、繊細な糸のような細胞や細胞列のことで、菌類の体を構成する本体です。キノコやカビや酵母は「真菌類」という種類に分類され、キノコの傘のような部分が菌糸です。

麦角におかされた麦は「毒麦」と呼ばれ、食べると手足がくろずんできたり、手足が焼け焦げたようになって少しの血も流れずに失っていき、精神錯乱も起こしたりしました。この麦角を原因とする「麦角病」はヨーロッパの中世においてペストやコレラともともにはびこり、人々を恐怖のどん底に落とし込みました。紀元前7世紀頃のアッシリアの粘土板に、「穀類に付着した有毒な小結節」という記述があり、麦角に対する最初の警告ではないかといわれています。

4世紀頃に庶民がよく口にするライ麦にバッカクキンが蔓延するようになり、麦角病が猛威を振るようになりました。麦角病は聖アンソニーの火とも呼ばれました。聖アンソニーの火は三世紀頃に活躍したキリスト教の聖者で麦角病にかかって足を失いながらも114歳まで長生きしたため「病気の守護神」として崇められるようになりました。聖アンソニー派の修道士がこの病気の治癒に尽力したこと、麦角中毒の初期症状に手足に強い熱感をともなうこと、聖アンソニーの聖地であるフランスのリヨンにある寺院に詣でるとこの病気が治ると信じられたことから、聖アンソニーの火と呼ばれるようになりました。

現在でも飢饉の続くアフリカを中心に麦角病の発生が報告されています。日本では、ライ麦ではなく麦角菌に強い米を主食してきたため、麦角病の報告はほとんどありません。

ヨーロッパの助産婦たちは、麦角を子宮の収縮を促進するために古くから応用していました。麦角の医薬応用の研究がなされると、麦角の毒作用や子宮収縮促進作用を示す成分は麦角アルカロイドと総称されるものであるとわかりました。この毒は、体重1kgあたり0.001~0.003mgで麦角病の病状を発現する、極めて強い毒性を示すこともわかりました。麦角アルカロイドは毛細血管を詰まらせ、手足を壊疽に追い込むだけではなく、神経に作用して幻覚症状を呈し、痙攣状態を起こし、精神錯乱を引き起こすのです。その代表的なアルカロイドであるエルゴタミンはリゼルグ酸に3つのアミノ酸からなるペプチドがアミド結合した構造をしています。

リゼルグ酸を化学修飾したものには強い幻覚作用があり、第二次世界大戦中にはCIAが「洗脳剤」として使用し、戦後は大麻、コカインと並ぶ、麻薬の一種となりました。それが現在では悪名の高いLSDです。

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